大学時代 その4

大学1年生の秋にオーケストラの演奏会デビューを果たした後は、年に2回の定期演奏会でこんな曲を演奏しました。

   2年春:ベルリオーズの幻想交響曲(2ndのアシスタント)
   2年秋:ブラームスの交響曲第1番(2nd)
   3年春:ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲(1st、前橋汀子さんと共演)
   3年秋:ショパンのピアノ協奏曲第2番(1st、仲道郁代さんと共演)
   4年春:チャイコフスキーの交響曲第5番(1st、事実上引退)
   4年秋:ブラームスの交響曲第2番(1stのアシスタント)

どの曲も結構美味しかった楽しかったです。

特に4年生の春の演奏会では、チャイコフスキーの交響曲第5番のトップを吹かせてもらったので、何の悔いも残さずに引退できました。その時の指揮は松尾葉子先生で、合宿の時に雑談をした際、演奏を褒めていただいたのは忘れられません。一生の思い出です。
この時の定期演奏会、もちろんアンコールも演奏したと思うのですが、曲が何だったかも思い出せません。でも、チャイコフスキーの交響曲第5番の第4楽章の最後のページに入ったところで、「ああ、これでオーケストラでの演奏が終わってしまうんだな」と思ったことを鮮明に覚えています。私は大学にはクラリネットを吹きに通っていたのかというほどオケにどっぷりで、大学の同じ学科の同期とはそれほど親しくしていませんでした。一緒にお茶を飲んだり食事に行ったりしたこともほとんどなかったと思います。でも、この演奏会には同じゼミだった4人が聞きに来てくれました。学科の中ではものすごく存在感の薄い人だった私ですが、みんな私がオケで頑張っていることを知っていて応援してくれていたんだなぁということを知り、頂いた花束が有難くて涙が出ました。

大学の学園祭では音楽喫茶の模擬店をしたので、そこではアンサンブルの曲を何曲も吹きました。大学時代はザッと練習してかなり荒い演奏でも人前で吹いちゃうという機動力があったわけです。今はもっと音楽に対して繊細なので、突き詰めて練習しなければ人前で吹きたいとは思いませんが…。同期の管楽器の女子が(私以外は)アルコールに強かったので、先輩から「トラ組」と呼ばれていて、「トラ組」としてアンサンブルを組んだりもしました。

私はその後25年以上もクラリネットを吹かない時期があったのですが、2012年にはクラリネット、バスーン、ホルンの仲間とオープンしたばかりのスカイツリーで再会を果たしました。それがきっかけとなって、2013年の夏にクラリネットを再開しました。その後、2014年、2015年には一時帰国に合わせてスタジオを借りてアンサンブルをし、2015年の夏にはトラ組+弦楽器の同期とも再会しました。

大学時代の仲間っていいなぁ。老後はまた一緒に演奏できるといいなと思っています。

大学時代 その3

(日々の練習に追われて、このカテゴリーをすっかり放置してしまいました…)

大学時代、2年生の1月までは大学の寮に住んでいました。
オーケストラに勧誘されたのも、この寮の同じ階にクラリネットの先輩が住んでいたからです。全部で3棟あり500人近い女子大生が住んでいるという巨大な寮でしたから、ホルンの先輩も住んでいたし、フルートの先輩も住んでいたし、オーボエの先輩も住んでいたし…そこら中にオーケストラの先輩と同期が住んでいて楽しかったです。

練習室もありました。午後10時までは練習OKだったので、毎日練習していました。10時前だったのですが、近くの部屋の学生に「うるさい!」と怒鳴られたことがあり、夏でも窓を閉めて遠慮して練習していました。それでも、うるさかったでしょうね。申し訳ない…。

寮を出てアパートに引っ越してからは、大学の部室などで練習するしかなくて、夜遅くまで練習していたのを覚えています。で、アパートに帰り、大急ぎで銭湯に行く…洗髪し終わって目を開けたら洗い場の照明が半分になっていて「早く出ていけ〜」というモードだったのを覚えています。

当時はレッスンとオケの練習を中心に生活が回っていました。それ以外のことはほぼ記憶にありません。(爆)

さて、1年生の11月の演奏会では、ドビュッシーの交響曲「春」の2ndを吹きました。鬼のように怖い先輩が1stで、パート練習でしごかれたのは前述の通りです。不思議と本番で緊張することはありませんでした。とにかく自分のパートのことで頭が一杯だったのと、隣にいる鬼が怖くて緊張する余裕すらなかったのです。これがオーケストラでのデビュー、A管デビューになりました。

最近、ドビュッシーの交響曲「春」を聴くチャンスがありました。(自分の演奏ではありません)いい曲だったんだなぁとしみじみしました。後にも先にもちゃんとドビュッシーを吹いたのはこの時だけです。これから先もクラリネットのソロの曲を吹けるようになるとは思えないので、ドビュッシーはこれが最初で最後でしょう。

(to be continued)

お茶の水管弦楽団 100回記念総会

大学時代にはお茶の水管弦楽団(通称:お茶管)に所属しておりました。
茗荷谷にあるお茶の水女子大学と御茶ノ水にある東京医科歯科大学を中心とする学生オーケストラです。
先週の土曜日に、定期演奏会100回記念の総会が開かれました。
残念ながら、まだ職場が学期中なので日本に行くわけにはいかず欠席しましたが、盛会だったようです。
参加した同期の友達がfacebookに写真をたくさん載せてくれたので、ずっとご無沙汰していた仲間の近況を30年ぶりに知ることができて感激しました。

2012年の夏にオケ仲間と再会を果たしたことが、私のクラリネット復帰につながりました。
一時は「もう吹かないから楽器を売却して…」とまで考えていたのに、今の私の生活はクラリネット演奏を中心に動いています。

私が大学生だった頃は、インターネットもなく、CDもなく(当然mp3もなく)、楽譜や音源へのアクセスは非常に限られたものでしたが(この部分を読んで、何時代の話!?と驚愕された方もいることでしょう)、その分せっせと学生オケの演奏会に足を運んだりしたものでした。全然会ったこともない都内の他の大学オケの代表の方と、深夜まで電話でオケの運営について語り合ったりしたこともあります。あ〜、懐かしい!

あの4年間がなかったらきっとクラリネットは私の人生のほんの一瞬の出来事で終わってしまっていたことでしょう。
仲間と一緒に演奏することは素晴らしい!一生の宝物です。
それを、ECMでの活動を通じて、この歳で再体験できるとは…私は本当に恵まれているなぁと改めて感じました。

いつまでも心の中で響く音

今朝、大学のオケ仲間でしているfacebookに、大学時代に私を厳しくシゴいてくれた先輩が逝去したという知らせが…。まだ55歳でした。

大学1年生の秋の演奏会でDebussyのPrintempsの2ndを、その後、Berliozの幻想交響曲のアシスタントもさせていただきました。幻想交響曲での先輩のソロの素晴らしさ、今でも忘れられません。朝、知らせを聞いて、当時の録音を聞いてみました。目の前で演奏してるかのように胸に響いて来ました。

同じ先生のレッスンを受けていたこともあって、「上手になって先輩みたいな音が出したい」と大学時代からずっと思っていましたし、それから30年経った今でも私の目標とするクラリネット奏者でした。

先輩の音はこれからもずっと私の心の中で響いていくと思います。

大学時代 その2

大学のオケに入った直後、5月下旬にあった春の定期演奏会は演奏しなかったので、そこら辺までは余裕でした。
そして、その頃から個人レッスンに通うことになりました。
先生は東京佼成ウインドオーケストラのクラリネット奏者で、「鬼のように怖い」例の先輩と同じ先生につくことになりました。
「鬼のように怖い」先輩がビビっているほどの厳しい先生で、ことごとくそれまでの奏法を直されました。
でも、おっしゃることはもっともだったので、非常に素直に練習に励みました。しばらくの間はロングトーン、スケール、エチュードの基礎練習をし、週1回、毎回30分ぐらい見てもらうというパターンでレッスンを続けました。

さて、夏になると、11月の秋の演奏会で吹く曲が決まり、私はこともあろうに「鬼のように怖い」先輩と同じ曲の2ndを吹くことになったのです。しかもA管…。B♭管でも遠くまで響くような音が出せないでいるのに、もっと抵抗感のあるA管を鳴らせるようになるでしょうか…?

夏休みの間は週に2回ぐらいレッスンに通い、最初のうちは音を出すことだけを見てもらっていました。
きっちり拍の頭に音を出す…当たり前のことですが結構難しいんです。自分ではちゃんとタイミングに合ってると思っていても音域や音量によって遅れてしまったり、意味もなくアクセントが付いてしまったり、頭だけ音量やピッチが変わってしまったり…。そういうところを徹底的に直されました。ふぇ〜ん。
先生からはロングトーンもスケールもエチュードも全てA管で吹くようにというお達しが出て、毎日毎日寮の練習室で練習。練習室の近くの部屋の人に苦情を言われたこともあります。
自分ではちゃんと練習したつもりでレッスンに行っても、レッスンで言われた通りに吹けないと、「本番で吹けなかったら、練習しなかったのと同じことなんだよ。お客さんに、練習ではできたんですって言い訳できないでしょ?」と言われ、悔しいやら情けないやらで駅のトイレで泣いたことも数知れず…でした。

レッスン以上に怖かったのは、先輩とのパート練習。
「その音の入りが遅いんだよ!」と、座っていた椅子の足を蹴られたこと数知れず…。
演奏会のことを考えると憂鬱で逃げ出したい気分になったことも何度かありました。

当時は、「なんでオケに入っちゃったんだろう…吹奏楽の方が楽しいよ〜」と毎日心の中で叫んでいました。
でも、先生も先輩もトロい私と真剣に向き合い、辛抱強く付き合ってくださっていたわけで、それは本当にありがたいことです。先生と先輩のおかげで、私はクラリネットの楽しさ、オケで吹く楽しさに目覚めていきました。


(to be continued)

大学時代 その1

大学入学が決まり、田舎から上京した時には、大学ではクラリネットは吹かないつもりでいました。
私の大学には吹奏楽部がなかったからです。
当時は「オーケストラで吹くなんて、自分一人でそのパートを吹くなんて、そんな心細い状態には耐えられない…」と思っていました。

でも、大学の寮に入寮して1週間ぐらいのある日、同じ階に住んでいた美しい先輩が「高校でクラリネットを吹いていたんだったらオーケストラに入ったら?」と勧誘にいらっしゃったんです。せっかくだから…とのこのこ見学に行き、ふらふら〜っと入部を決めてしまいました。

で、親に頼んでB♭管を買ってもらいました。
当時の領収書がまだ残っていて、楽器とマウスピース全部で20万円。同じオケのクラリネットの先輩にお願いして、横浜のセントラル楽器さんで買ってもらったようです。(この辺のことは先輩任せだったので全く記憶にない…)

うちの大学のオケはご近所にある医科歯科の大学と合同編成で、練習の後は常に飲み会。医科歯科の大学はちょっと年上の先輩が多かったためか、1年生の最初の頃はほとんどが先輩が奢ってくれました。「これはいいや〜」と思っていたのですが、世の中はそんなに甘くない…。

クラリネットのパートは、もう実質的には引退された4年生の先輩が3人、2年生の先輩が2人。ほんわかした雰囲気でした。でも、医科歯科の大学にクラリネットパートの主のような、鬼のように厳しい先輩がいて、私の苦難の道はここから始まりました。



(to be continued)




高校時代は…

最初にクラリネットを吹いたのは高校1年生の時。

中学2年生頃から吹奏楽部に入りたいと思っていたのに、たいていの生徒が中1から吹奏楽部に入部し楽器を始める中、希望するのが遅かったので入部が叶わず、「高校に入ったら絶対に吹奏楽部!」と心に決めていました。

で、第一希望はサックスかフルート。
でも、中学からの経験者がちゃんといるパートには入れてもらえず、取りあえずは大所帯が当たり前のクラリネット担当になりました。クラリネットの1年生は私も入れて6人いて、初心者は二人だったかな。そんな感じでクラリネットを始めました。当然、学校の備品楽器、備品マウスピース、学校で共同購入しているリード。でも、すごいなぁと思ったのは、学校備品がクランポンの楽器だったこと。今思うと恵まれた環境だったと思います。

さて、何が大変って、私はそれまでピアノを習ったりしたことがなかったので、楽譜が読めない。リズムも分からない。
そして、結構吹奏楽が盛んな高校だったので、初心者といえども行事がてんこ盛り。野球応援、運動部の試合前の壮行会、7月の定期演奏会、合宿数回、マーチング、文化祭…と、部活漬けの日々が続きました。

高校三年間、ず〜っとそんな具合でまずは部活ありき。でも勉強との両立はきちんとしていました。我ながらしっかりした高校生だったと思います。

高校時代は吹奏楽部だったのでひたすら大勢に埋もれて演奏していました。変な音出して目立たないように間違えないように…それが信条。だから、それなりにしか上達しなかったかも。そんな控えめな私でしたから、その後大学のオケに入った時にはかなりの苦労がありました。

この続きはそのうち…。